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【アラベスク】  第16章 カカオ革命



第3節 待ち伏せする日 [1]




 ツバサはキョロキョロと辺りへ視線を投げながら、美鶴のジャンパーの裾を掴む。
「ね、ねぇ、ここってさぁ」
 潜める声が少し震える。
「ここって、未成年が出入りしてもいいワケ」
「ダメだと思う」
「ダ、ダメって」
 素っ頓狂な声をあげそうになり、慌てて両手で口を覆う。
「ダメって、美鶴、そんな簡単に言わないでよ」
「聞かれたから答えただけだ」
「そういう問題じゃなくって」
 壁に背を預け、暗闇の中でじっと一方向を見つめる美鶴。
「こんなところをウロついてたらヤバいんじゃない?」
「見つかったらヤバいとは思うよ」
「だったらどうしてこんな所に」
 そこでツバサは乾いた唇を舐める。
「こんなところにお兄ちゃんが?」
 信じたくはないという表情を、美鶴がチラリと見上げる。
「いや、ここにはいないと思う」
「思う?」
 途端に訝しむ。
「思うってどういう事?」
「ここでは会えない。たぶん」
「たぶん? ここに来ればお兄ちゃんに会えるんじゃないの?」
「だから、それは電話でも言ったでしょ」
 美鶴に言われた。だからツバサは付いてきた。
 昨日の夜、兄の名前を出された時には心臓が止まるかと思った。
 秋に、兄の消息を求めて滋賀まで出向いた。そこで小窪(こくぼ)智論(ちさと)という女性から、兄の失踪に関わる出来事を聞いた。
 兄が姿を消してしまったその原因を少し知る事ができた。それだけでも進歩だったとは思う。だが、そこから先には進んでいない。依然、兄の行方は分からずじまい。
 その兄に会ったと聞かされた時には、聞き間違いかと思った。
 どこにいるのか教えて欲しい。すぐに会いたい。なぜ相手が自分の兄だとわかったのか? 話をしたのか? 名前を聞いたからか? 私の事は何か言っていなかったか?
 矢継ぎ早に質問してくるのを制するのに、美鶴はうんざりするほどの労力を使った。
「直接会わせてあげる事はできないけれど、連絡なら取れるかもしれない」
「連絡? じゃあ、今から取って」
「それは無理」
「どうして?」
「私では連絡は取れない」
「取れない? 今、取れるって言ったじゃない」
「取れるかもしれないと言っただけだ」
 先走りそうになるツバサ。
「取れるのか取れないのか、どっち?」
「そんなの聞いてみないとわからないよっ」
「聞くって誰に?」
「だからっ」
 思わず声を荒げてしまいそうになる。
 落ち着きなよ。アンタが焦ってどうするのよ。
 美鶴は自分に言い聞かせ、大きく息を吸ってみる。
「知り合い」
「知り合い?」
 知り合い、だよな。友達じゃないし、もちろん彼氏でもないし。先輩? それも違うな。
「知り合いって、美鶴の?」
「そう」
「じゃあ、今からその人に連絡を取ってよ」
「わ」
 わかった、と言おうとして、思いとどまった。耳から携帯を離し、じっと見つめる。
 霞流さんは、私からの電話に出てくれるだろうか? 気を引いたり振り向かせたりするつもりで電話をするワケではないが、霞流さんにはこちらの事情などわかるはずもない。私からの着信を見ても、鼻で笑って無視するだけのような気がする。最近は試験勉強があって、あの店には行っていなかった。私が何か姑息な手でも練っているんじゃないかなんて、思われてしまうかもしれない。
 しかも時はバレンタイン前夜。恋する乙女が全国各地でさまざまな作戦を立てている時分。バレンタイン絡みの電話だと思って馬鹿にして、無視されるかもしれない。
「ねぇ、美鶴?」
 携帯から()くような声。
「美鶴? 切れた?」
「ん? あぁ、切れてないよ」
 慌てて携帯を耳に当てる。
「ねぇ、今から連絡取ってくれるんでしょう? 携帯? じゃあ私、このまま起きて待ってるから」
 言いながら勝手に切ろうとするツバサを慌てて制した。
「あ、待って。今は無理」
「え? 無理?」
「今はきっと連絡取れない」
「え? 何でよ?」
「何でって」
 必死に言い訳を考える。
「たぶん仕事で」
「仕事? 仕事してる人なの?」
「えっと、まぁ、年上っちゃぁ年上かな」
「でも仕事って、こんな夜遅くまで? あぁ、残業?」
「まぁ、いろいろあって、たぶん今電話しても繋がらないかもしれないし」
「掛けてみるだけかけてみてよ。ダメなら繋がってからでいい」
「それもそうなんだけど、それよりももっと確実な方法があるかもしれなくって」
 言ってしまって、マズかったかと一瞬後悔した。
 あの場所に、ツバサを連れて行くのか?
 だが、もう遅い。
「確実な方法? 何よ?」
 嘘の下手な美鶴には、適当に誤魔化すなんて芸当、できるはずもなかった。



「ここでその知り合いって人には会えるけど、お兄ちゃんには会えないんだ」
 ツバサは、寒さで少し紫に変色した唇を舐めながら、呟くように言った。
 兄には会えないが連絡なら取れるかもしれない。美鶴はそう言った。だがツバサは、ひょっとしたらいきなり兄にも会えるのではないかといった、淡い期待も(いだ)いていた。
「複雑だ」
 ポツリと呟く。
「何が?」
「お兄ちゃんに会えたらいいなって思ってたけど」
 辺りを見渡す。
「こんなところで会えるのは、ちょっと」
 美鶴は苦笑い。
 確かに、ずっと憧れていた兄がこのようなところを徘徊している姿など、目撃したくはないだろう。







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